POLICYこだわりポイント
プロの職人が
生み出す金型技術Mold technology
一昔前、プラスチックモデルを組み立てるにはニッパーとセメダインは欠かせませんでした。
しかし、現在ではそれらを使わずに、「手で捻るだけでポロリと取れるパーツ」、「指でパーツを組み合わせてグッと押し込むだけで圧着するプラスチックモデル」などが実現されています。
しかし、これらを実現できる会社は限られています。
どうして、そんなことができるかお分かりですか?
実は、最後は「職人の技」なのです。機械旋盤である程度のところまでは加工できますが、最後の最後、「手で捻るだけでポロリ」の「ポロリ」とくる感覚、「グッと押し込む」の「グッ」となる感覚は、長年の経験とカンを持った特別の職人が手作業で生み出すのです。
我々のような街工場には、100分の1ミリ単位の細かな調整ができる驚くべき達人がいるのです。
大手プラスチックモデルメーカーから当社に金型の発注が来る理由も、そういった職人の技術の積み重ねがあるからなのです。
細部が違う!
こだわりの作り込みCareful craftsmanship
プラスチック金型をご依頼されるお客様によって、「コスト最優先で製作してほしい」「大量に速く作ってほしい」「とにかく精巧に作ってほしい」といった様々な御要望があり、当社は各々の要望にあわせて全力でお応えします。
ここでは、「精巧に作ってほしい」の代表でもあるプラスチックモデル金型を例にします。
プラスチックモデルの場合、小さい中に立体的で複雑な細工や、造形全体のリアリティが求められます。そして何より、その模型を愛してくださるファンの皆さんの期待を裏切らないように心がけて作っています。
右の写真は、一見、編目の下に扇風機があるように見えますが、実は1枚の板による加工でできています。注意して見ないと1枚板と見破るのが難しく、まるで別の部品を組み合わせているかのように錯覚するほどです。「プラスチックモデル金型を作れるなら、プラスチック金型は何でも作れますね」と、お客様から信頼を寄せられています。
新しい取り組みへNew Initiatives
組み立てて「使う」プラスチックモデル
プラスチックモデルを組み立てたら「飾る」だけでなく、「使う」という商品開発も行っています。
一例として、クワガタの形をしたハサミをご紹介します。
およそ40秒で組み立てられるほどの簡単な構造にも関わらず、薄い紙を切るくらいの力をもったきちんとしたハサミを組み立てることができます。
実際に金属の刃物を使っているわけではありませんので安心ですし、低年齢のお子様の知育玩具としてもご活用いただけます。
エコプラスチックモデル
新しい試みとして、廃棄物が一切出ないプラスチックモデルの製造にも取り組んでいます。
通常、プラスチックモデルを組み立てると、ランナーと呼ばれる部分(プラスチックを流し込む枠組み)が余ってしまいますが、その部分を組み合わせるとオブジェとして組み立てられる手法を編み出しました。
下の写真は、野球場で販売されるグッズの1つで、カレーとプラスチックモデルフォークがセットになった一例です。ランナー部分を組み立てるとちょっとしたアクセサリーとなります。
また、本体部分もジャックナイフのような要領でフォークに早変わり。組み立てる楽しさ+動きの楽しさで、親御さんにもお子様にも大変ご好評を頂きました。
秋東精工の歴史History
国産初のプラスチックモデル金型を作った男
国産初のプラスチックモデルを販売した玩具メーカーとして知られるマルサン商店。
そのマルサン商店の初の国産プラスチックモデル「原子力潜水艦ノーチラス号」の金型を作った男、それが柴田幹雄会長(初代社長)である。
当時は、プラスチックの製造技術が国内では確立されておらず、製品化はとても無理と言われていた時代。
しかし、秋田から上京して模型メーカーのマルサン商店に就職した柴田会長は、この「原子力潜水艦ノーチラス号」開発において最も重要な金型製作を任されていた。
何もかもが手探りの状態。
金型を掘るため、ドイツから最新の立体彫刻機「パンタグラフミラー」が導入されても、白衣を着たドイツ人技師の指導は、すべてドイツ語。言葉は分かるはずもなく、手の動きだけで必死に覚えていった。
当然、金型の製作には何度も失敗し、金型の材料はすぐに無くなった。自転車で亀戸まで材料を買いに行き、何十キロもある鉄の塊を積んでペダルを漕ぐ。スパナとげんこつが飛んでくる現場で格闘する毎日。それでも「三度の飯よりものづくりは楽しかった」と語っている。
「無理だ」「できない」という言葉はなく、「必ずできる 、何か方法があるはずだ」と信じて、開発が進む。
そうして、一年をかけてようやく金型は完成し、1958年、国産初のプラスチックモデル「原子力潜水艦ノーチラス号」は歴史的発売に至ったのである。
高度経済成長とともに創業期から成長期へ
完成型ブリキ玩具が主流の時代、初めこそ市場の反応は冷ややかだったが、TV番組「陸と海と空」の放映が始まるとプラスチックモデルの人気と知名度は一気に高まった。
柴田会長は独立し、秋東精工を設立した。
社名は「秋田」から「東京」へ上京したことから名付けた。
1978年、スーパーカーブームが絶好調のころだった。記念すべき初受注は「ランボルギーニ・ミウラ」。その後、高度経済成長とともに受注を拡大する。ピーク時には会社の前に模型メーカーの列ができた。工場がフル稼働状態で、発注を1年待たせたこともあるという。
その「秋東」の名は、国内メーカーはもとより、海外にも広まった。
現在では、世界の模型メーカーに“スモール・シバタ”のニックネームで一目置かれる存在となっているのだ。
「技術力」と「開発提案力」に磨きをかける
こうした成長の背景には確たる理由がある。
一つは、「もう少し」という言葉の寸法を再現できる技術力である。マニアも唸る絶妙な曲線、数値では表現できない世界で繰り広げられる職人技。これを支えるのが、柴田会長をはじめ、「金型の芸術家」石亀さん、「生きた精密機械」清水さん、といった名工の存在である。この名工の存在が同社の技術的なブランド力を高めているのである。
もう一つは、イラスト一枚からでも形にしてしまう開発提案力である。ある米国の模型メーカーからヘリコプターの依頼がきた。渡されたのはイラスト一枚だけ。それでも図面化、モデル化し顧客が感動する製品を納品した。
2千タイトル以上ものプラスチックモデル金型を製作してきた経験とノウハウの賜物である。
どんな形で、いくらで売ればユーザーに売れるかまで瞬時に分かる。
実際、売上の2割はこうした企画から試作段階の開発提案に関わるものだという。